
令和アカウンティング・ホールディングス株式会社
代表社員 公認会計士・税理士 須貝 信 氏
1954年生まれ。1981年に一橋大学社会学部を卒業後、一般企業へ入社するも会計資格を目指して退職。一橋大学商学部在学中に公認会計士試験合格、1986年に監査法人朝日会計社(現あずさ監査法人)へ入社。1989年に令和アカウンティング・ホールディングス株式会社(旧:平成会計社)を設立開業、2003年には税理士法人化し代表社員に就任。メンバーの職業専門家としての能力向上を目指して独自の組織体制を敷き、高品質なサービスを提供する。
国内系最大級のアカウンティングファームである令和アカウンティング・ホールディングス株式会社。設立から25年の間、業況は拡大の一途を続けてきました。成長の秘訣と今後の展望について、代表社員である須貝信先生にお話を伺いました。
国内最大級のアカウンティングファームでいらっしゃいますが、ずばり、これからの目標を教えて下さい。
BIG4を超えることです。これはどうしても成し遂げなくてはいけないと思っています。
現在、外資系法人であるBIG4が日本の大企業の心臓部を握っているわけですが、なぜ外資に握られているのだろうと、常々疑問に感じています。私たちが500名を超える従業員数で、売り上げ規模も更に拡大していけば、社内外からの見方も変わってくるのではないでしょうか。地方の拠点も合わせたら500名を超える国内会計事務所は他にもありますが、東京の拠点だけで500名を抱える税理士法人はないでしょうから、それを現実のものとすることが第一の目標です。
また、それに合わせて実現させていきたいのが、業界の活性化です。みなさんもよくご存知のことですが、税理士試験の受験者は年々減少し、会計業界の人材難は深刻な状況です。公認会計士も、一昔前に比べると受験者数は落ち込んでしまいました。難しい試験の割には、以前ほど資格を取ることへの魅力が減じてしまったのが原因です。
当然これは人材をどんどん獲得していこうという私たちにとって、とても大きな問題です。
この問題を解決するには、業界を挙げて会計資格の魅力の底上げをしていかなければならないでしょう。業界内にもさまざまな問題が横たわっていますが、ときには大局的な視野を持って改善していく必要があると思います。
ここまで成長してこられた原動力はどこにあるとお感じですか?
人がやらないことを率先して行う、リスクを取ることを厭わない、ということに尽きます。
この業界の多くの事務所の規模が大きく成長しない最大の理由は、リスクを取らないからです。より都心で大きな事務所に引っ越したら家賃がかかるし、それで収益が増えなかったらどうしようもない…。そうした恐れから、現状維持を選択してしまう会計人は多いと思います。気持ちはわかりますし、間違ってはいませんが、大きく成長したいのなら、リスクを取らなければはじまりません。
私たちも、何度も引っ越しをして、その都度規模を大きくしていきました。正直、その度に成功する目論見や確信があったわけではない。でも、結果として、それによって大きく成長できました。
仮に失敗してしまったら、また引っ越せばいいのです。たとえ失敗してしまったとして、信用は損なわれてしまうかもしれないけれど、別に命を取られるわけではありませんから。「リスクが」と言って何も動こうとしない人もいますが、個人的にはもう少し無理してもいいのでは?と思います。
私たちの事業の柱の1つとなっているREITも、リスクを取ることによって成功した一例でしょう。REITが国内で誕生した2001年当時、REITのアウトソーシングなど、誰もやったことがありませんでしたからどこも引き受けようとしなかったので、当社が手を挙げました。「誰もやったことがないのなら、うちがやります」と。
多くの公認会計士や税理士は「やったことがないからやらない」と考えるのでしょうし、実は社内のメンバーからも猛反発を受けたのですが、結果としてはしっかりとクライアントのご要望に応えることができました。一番はじめにリスクを取ったからこその成功例だと思います。
周りの逆を行くという発想は、どのようにして養われたのでしょうか?
特徴的な出来事があったわけではないのですが、この業界はリスクを取ろうとしない人が多いので、それが反面教師になっているのかもしれません。それに、他の真似をするのは楽ですけどオリジナリティがなくては、やっていて面白くないですよね。
もちろん失敗がなかったわけではありません。
現在のようにコレド日本橋にオフィスを集約する前の3年間ほど、赤坂と銀座にも事務所を置く体制だったのですが、オフィスが分かれていることの不便さやSPCバブルが崩壊に向かうタイミングだったこともあり、その間は利益が微減してしまいました。しかし、エリアを拡げたことでつながりを持てたクライアントもありますから、成功か失敗かはどの時点で考えるかによって違ってくるかもしれません。
そもそも、私自身が新卒で入社した会社を1年で辞めて会計業界に飛び込んだことも、リスクを取った末の行動だったと言えるでしょうね。
どのような経緯でこの業界に入られたのですか?
大学を卒業後、大手上場メーカーに入社しました。たまたま恵まれたポジションに配属され、入社1年目から副社長と密にコミュニケーションをとりながら仕事をしていました。それにより、会社全体を見渡すことができたのですが、結果的にこの会社の方向性が自分には合わないと感じてしまったのです。それで、この先をどうしようかと迷っているうちに、仕事を通じて公認会計士という職を知りました。
大学では経済史を学んでいたので、会計の「か」の字も知らなかったですし、当時は今ほど簡単に転職ができる時代ではなく、会社を辞めてしまえば二度と一流企業には就けないとされていました。それでも私は、「面白そうだしやってみようかな」と、割と軽いノリで考え、会社を辞めて会計の勉強をするため大学に出戻りしました。
そして公認会計士試験に合格し、27歳のときに監査法人朝日会計社(現・あずさ監査法人)に入社しました。当時の監査法人は誰でももれなくパートナーになれる時代だったのですが、完璧に年功序列で、自分の順番が回ってくるまで待つしかない世界でした。それも嫌だなと思っていたので、「3年程で独立するつもりですけど、いいですか?」と了解を得た上で入社し、果たして31歳のときに独立しました。
独立されてから現在までの経緯を教えて下さい。
独立したものの、初めからクライアントがいるわけではありませんから、ゼロからのスタートです。とりあえず自宅で税理士登録し、監査法人で非常勤アルバイトのような業務を続けてどうにか生活していたのですが、やはり自宅はデメリットが大きい。当時まだ小さかった子供がいて、大きな声で泣いてしまうとか。これはイメージがあまり良くないと考えて、1989年に飯田橋で10坪程度の事務所を借りました。
仕事は徐々に増えていったのですが、小さなオフィスだと大きなクライアントは絶対に来ません。ここも早く出ないとまずいと考え、1992年に神楽坂の30坪程度の事務所に引っ越しました。人数は6名。バブルの頂点のころで、とても高額な保証金がかかったのを今でも覚えています。神楽坂への移転は、当時の私にとって「ホップ」「ステップ」をすっ飛ばしていきなりの「大ジャンプ」のようなものでした。今考えてもよく決断したなと思いますが、あそこで一歩踏み出さなかったら、今はなかったと思います。
さらに1998年、事業拡張のため千代田区富士見に移転。2003年には法人化し、現在同じ代表社員である高山温子先生と合流しました。抱えている医療法人の業務をこなすのにより大きな規模が必要だということで、それなら一緒にやりましょうということになったのです。会社にはそれぞれに文化がありますから、合併の際には少なからず苦労もありましたが、事業や人脈の幅も格段に拡がり、成長の大きな起爆剤となりました。
翌2004年に、現在のコレド日本橋に移転。先ほど申し上げた通り、しばらく赤坂と銀座にも事務所を置いていたのですが、2011年にコレド日本橋のオフィスを増床して統合しました。日本橋は、日本の中心地ですから、大きな挑戦のように感じるメンバーは多かったのですが、僕にとっては開業の頃のほうがはるかにリスキーでしたので、ここへの移転については何の心配もしていませんでした。
中長期における事業の柱を教えて下さい。
5つの柱を考えています。
1.REITとSPC
信託銀行なども参入していますが、パイオニアである当社のサービスには絶対の自信があります。現在、業界内のシェアは25%ほどですが、これを50%、70%と拡充していきたいと考えています。
2.少子高齢化を背景とする資産税
相続や事業承継はますます増大していきますから、私たちも注力すべく、現在インフラを整備しているところです。
3.ヘルスケア
病院です。病院事業は統廃合が進んでいますし、相続が起きる前にはみなさん病院へ行くわけで、今後も重要性は増していきます。現在も業界最大手の医療法人をいくつも担当していますが、更に拡げていきたいと考えています。
4.大企業向けのアウトソーシング
大企業も少子高齢化を背景に、管理セクションの人間がどんどん減ってきているのを肌で感じています。経理にはそれなりのノウハウが必要ですから、今後ますます、大企業が会計事務所に記帳代行等サービスを依頼するケースが増えてくると考えています。
5.海外展開
現在もベトナムと上海に拠点を構えていますが、東南アジアを中心に今後より多くの国に展開していこうと考えています。日本の人口が減れば消費が落ちるのも当然であり、海外にも目を向ける必要があると感じています。
これらをしっかりと成功させれば、私たち令和アカウンティング・ホールディングス株式会社グループも更なる飛躍ができると考えています。
カイケイ・ファンをご覧の方にメッセージをお願いします。
ぜひ当社にきてください。っと、これはストレート過ぎますかね(笑)。
先ほど申し上げたように、「人がやらないことをやる」という姿勢があれば、会計人としても多くの貴重な体験ができると思います。率先して斬新なアイデアを発言してくれる人は大好きです。将来、企業のCFOになるとしても、監査の経験しかないCFOと比べれば、当社で幅広い業務を経験した方が優秀なCFOになれると思いますよ。私が保証します。幅広い業務を身につけるには、若いうちから色々なことに従事するのが一番です。歳を重ねてくると、新しい領域に足を踏み出せなくなる人が本当に多い。長年監査法人に在籍し、「先生、先生」と呼ばれていたような人が会計事務所に移ると、クライアントからいろいろ言われるうちに「なんで自分がこんなことをやらなきゃいけないのか」となってしまう。自分で手を動かさないのに、人の作ったものにケチをつける。そういうふうになってしまいがちです。
若いうちから広い世界を見ておくほうが、この業界の魅力を感じることにもつながるでしょう。
ぜひ視野を広く持って、会計人として歩んでいってください。(2014年10月24日掲載)